これはLucky?
約1週間前の話になりますが、会社帰りにラーメンぬーぼうさんに寄って、冷たい塩中華を注文したら、チケットの番号が77で大当たりしたりしました。後日そのチケットをもっていき、無料でラーメンを1杯ご馳走になりました。ですが、乞食じゃないんで、ずんだ茶寮エスパル山形店ですんだシェイクを買って差し入れ(物々交換?)しました。大事なのはハート(気持ち)です。
通勤路の途中にある北海ラーメンさんの自販機でポカリスエットを買ったら、ルーレットで"9999"のアタリが出て、無料でもう一本ポカリスエットをゲットしました。何度となく同じ自販機で飲み物を買っていますが、アタリが出たことはなく、ルーレットなんてただの飾り(フェイク)だと思ってました(失礼)。
多くの場合、自ら「Unluckyだった」という時、それは単なる言い訳に過ぎない。人生はオイチョカブじゃないんだから、そんな風にイチかバチかのLuckyにそうそう左右されるわけがないんだ。だから「Luckyだった」のはいずれ訪れるべき”幸運“という名を借りた、原因が無くては起こり得ない当然の帰結なわけで、うかつに「Luckyだったね」なんて誰かに言わない方がいい。心の中で『ムッ!』としていることが多いからね。
上記は、敬愛する小田和正さんの書いたエッセイTIME CAN'T WAITからの引用です。Luckyなことが起こるといつも思い出します。本当の幸運というのは「何事もなく明日を迎えられることなんだろう」と、この歳になって思います。生きるということは奇跡の連続なのだ、と。
自動車事故などの悲惨なニュースを目にすると、そういった災いが何時自分の身に降りかかってきても不思議ではありませんからね。