Rest in peace, brother

平成24年10月13日、我が実弟が永眠しました。
享年36歳(享年は数え歳なので、実年齢は35歳)でした。
冥福を祈ります。

06:15~06:20頃の出来事です。
母親が朝御飯で弟の部屋へ起こしにいったとき、異変に気付きました。
最初はいつもの発作かと思いましたが、部屋でベッドから出た手足を見たとき、血の気が無いことを一瞬で悟りました。
時間ははっきりわかりませんが、前日の夜中~朝方のどこかで発作をおこしたようで、発見したときには既に心肺停止状態でベッドの中で冷たくなっていました。
家族が救急車の手配をして、救急車が来るまでの間、私は心臓マッサージをしていました。
弟の名前を呼びながら「戻ってこーい」と何度も叫びましたが、弟は帰ってきませんでした。
救急車が到着し、近隣の病院へ搬送され、医師により死亡確認されました。

弟は脳腫瘍を抱えており、6年前に1回目、昨年に2回目の手術を行いました。
手術は成功し術後の経過も良好でしたが、取りきれない脳腫瘍を叩くため、今年2月にガンマナイフによる放射線治療をすることになりました。
これが運命の分かれ道、悲劇の始まりとなりました。
放射線治療を受けて仕事に復帰していたある日、両親の元へ「弟が会社で突然意識を失い倒れた」という連絡が入りました。
いわゆる「てんかん」の発作でした。
病院で精密検査をした結果は脳が腫れており、それが原因ということでした。
そこからは会社で2回発作を起こして倒れました。
病院へ45日前後入院して、自宅へ帰ってきて5日目で発作を起こして再入院。
30日前後入院して、自宅へ帰ってきた当日~翌日頃に発作を起こして帰らぬ人になりました。

放射線治療を受けて、より長く生きながらえようとしたことが仇となってしまいました。
たられば話を語っても仕方がありませんが、放射線治療を受けていなければ、発作を起こすことなく、あと5年は生きれたのではないかと思っています。
まさかこのようなことになるとは、治療を受けた本人も、私を含めた家族全員誰もが思ってもいなかったことでしょう。
腫瘍が小さくなるかも?というメリットはあれどデメリットのことはまるで頭にありませんでした。
これは大きな落とし穴です。
放射線治療というのは諸刃の剣であり、上手くいけば効果が大きいが、そうでなければ受けるダメージは半端ではありません。
もし脳腫瘍に対してガンマナイフによる放射線治療を検討している方がいらっしゃるのなら、よく考えた方がいいと思います。
弟は結果的に放射線治療を受けたことによってクオリティ・オブ・ライフ(生活の質)が低下してしまいました。
それは発作に怯えて生活しなければならなかったからです。
大好きなTVゲームをすることも、ビールを飲むことも制限されました。
またてんかん症状のため、クルマの運転をキッパリと諦め、好きだったクルマも売却してしまいました。
それは生きる楽しみを失うことにほかなりません。

突然このようなブログを読んでビックリされた方もいるでしょう。
一部は真実とは異なるのかもしれませんが、傍から弟と弟のサポートしていた家族を見ていた私の認識は上記の通りです。
弟の死をブログで語ることが適切なことなのか?それはわかりませんが、忘れないために忘備録として書いています。
記憶というものは年とともに経年劣化していくものですから...。
最後に放射線治療による副作用で苦しむ方が出ないことを願っています。